仕事場で何時ものように15時過ぎの入金チェックに繋いだYahooで
最新ニュースを知った。
一応定時まで仕事はしたけれど、平常心ではいられなかった。
娘にLINEを入れて、16時退勤後の返事を待った。
娘もKOJIくんが闘病中な事は知っていたけれど、
あまりに急な訃報にショックが大きかったようだ。
帰宅途中の娘から数分おきに入るLINEはすぐに懐かしい思い出話になっていった。
コンビニで領収書のあて名を問われ、「上様」と言うところを間違えて「殿様」と答えてしまった話。
「俺の名前は殿」と自分に言い聞かすKOJIくん。
あれ以来私達親子の間ではKOJIくんの事を殿と呼ぶように(苦笑)
その殿がキノコ狩りに行きたい話とか、
クリーニング・タグをつけたままテレビに出た話とか、
V系ミュージシャンのイメージにそぐわない癒し系エピソードが続々と出てきて、
悲しいけれど笑ってしまう。
涙の滲んだ目で苦笑し、笑いながらも、楽しい思い出がこんなに有る事に気付きまた泣けてしまう。
退勤までの2時間は涙と笑いを押し殺すのが大変だった。
お互いに帰宅してからもポツポツとLINEが行き交い、
La'cryma Christiの一員としてのKOJIくんの存在をひしひしと感じた。
Sculpture of Time の発表直後からずっと追い続けてきたから、心情的には身内に近い感覚で。
SHUSEファンではあるけれど、今回KOJIくんについての思い出が尽きなくて、
ファンとしてバンドと共に10年近く過ごしてきた重みを改めて実感した。
音楽の方向性の違い等で解散まで一緒に居られなかったKOJIくんだけれども、
やっぱりLa'crymaの1/5として大切な人だったね。
訃報の見出しには「ラクリマ・クリスティのギタリスト」とされている。
ALICE IN MENSWEARやALvinoでの活躍も有ったけど、やっぱりね・・
それともう一つ。
10代前半だった娘とのギクシャクしていた関係が少しずついい方向に向いて行ったのは、
ラクリマさんのお陰だった。
親として言いたいことは一杯あったけれど、
共通項であるラクリマだけは何も言わず同じ方向を向いて追いかける内に、
なんとなく壁が無くなっていった。
今回の訃報でも娘とふたりKOJIくんの思い出を語り尽くし偲ぶことが出来た。
娘、驚くほどKOJIくんネタを熱く語った。
KOJIくん、こんなに多くの思い出をありがとう。
ライブで「おまたせ〜」な感じで走ってくるKOJIくんは本当にカッコよかったです。
いまはゆっくりして下さいね。
]]>今年は紅白も観ず、
(去年の角川ミュージアムからの中継は良かったな)
孤独のグルメが楽しみです。
夕方娘のところにテレビ電話して、ゆまさんの顔をみて、婿さんにも年末の挨拶をして。
夜8時過ぎから、やっとお重にお節を詰め出して(笑)
BGMにはAFN(元のFEN)のclassic rockを爆音で。
昔岩国の米軍キャンプから雑音をかいくぐって聴いていた進駐軍放送がAFNになって、数十年ご無沙汰していた。
最近、英会話のエッセイの題材でラジオとの付き合いを振り返っていて、偶然AFNのインターネット放送があることを知った。
それ以来、事ある毎に聴いている。
昔みたいな雑音がないのはある意味寂しいけれど(苦笑)
その頃のチューニングの悪さや、深夜にボリュームを下げてこっそり聴いていた思い出。
このネタで、またカナダ人講師と共感し合えてしまった。
来春で4年目に入る英語だけど、いまだに様々な話題で共通項が見付かっていて、来年も楽しみだ。
言葉の違いを通り越して、基本は人間同士の感性だと実感させてもらう。
伝えたい事が有るのは幸せだ。
]]>奈良国立博物館で興味深い企画展が開催されていて、
熱中症やCOVIDの恐れも感じながら2年振りの奈良行きだった。
25年程前は毎年のように奈良を訪れていた。
佛教美術の講座を受講していた為、主に秋の「正倉院展」が目的だったが、
いつも娘同伴だった。
そこで東大寺の鹿のファンになった娘は、
5年生の夏休みに自由研究として「奈良の鹿」を題材に選んだ。
当然現地に行かなきゃ?という大義名分で(笑)真夏の奈良を訪れた。
奈良も盆地の為、夏の暑さはかなり厳しい。
酷暑の中で鹿の写真を大量に撮り、鹿保存会でエピソードを取材し、
駅近くの商店街で名物の「大仏焼き」を食べた。
炎天下での取材後にジョッキ!で飲んだウーロン茶は、今も娘との語り草だ。
鹿の自由研究から数年後には娘と共にラクリマにのめり込み、
東京・大阪へのライブ遠征に明け暮れる様になってしまったので、
奈良とは随分ご無沙汰になった。
「正倉院展」を観るため再び奈良を訪れたのは2年前の秋、実に22年振りだった。
その時、近鉄奈良駅を出た最初の印象は「さほど変わっていない!」だった。
駅前の広場も、そこに立つ黒衣の僧も、商店街の雰囲気も。
4半世紀近い前とほぼ変わっていない事に驚いた。
そして今回もその思いを更に強くした。
奈良博ではすべての展示品を撮影可能で、
仏像でも装飾文様ばかり 拘りの細部を撮影して滞在時間を長くしてしまった。
もっとも今は一人だから、「早く帰ろう」と急かす娘もいない。
気兼ねも無いけれど、少し寂しい。
奈良博を出た後は炎天下の昼下がり、
興福寺を抜け猿沢の池近くのお好み焼き屋さんまで歩く。
人影もまばらで、ほとんど風も吹かないお寺の土塀脇で救急車とすれ違うと
思わず「ここで倒れて搬送されない様にしっかり歩かなきゃ」と思ってしまう。
五重塔近くのひなびた石段に座って休んでいると、
時間が止まっているようだ。
よくある例えではなく、本当に「止まっている・・」
そんな感じだった。
考えてみれば、奈良は京都が平安京と呼ばれるより数百年前、
8世紀には既に日本の都だった。
2021年の現在まで1,300年以上も町として存在している。
普通の街なら、たとえ50年でも周りの変化は大きいと感じるけれど、
奈良ではさほどの問題ではないのかも知れない。
時の流れるスピードが違う。ゆっくり時が流れている。
その奈良の町では、ひとりの人間の7・80年の人生なんて微々たる時間なんだろうな。
時の流れがゆっくりなのを証明するように、
四半世紀振りに訪れた「かめや」は今もちゃんと営業していて、
大仏焼きもジョッキウーロン茶も健在だった。
正直もうお店自体も有るのか不安だったけれど、
そんな心配を笑うように、な〜〜んにも変わらずそこにあった。
やっぱり奈良は時がゆっくり流れている。
往復の近鉄特急の車窓から見えるのは、
のどかな田園風景と真っ青な空にモクモク湧いてくる入道雲だった。
おそらくこの夏に見る一番の夏空。
この風景も奈良の街の雰囲気も変わらず在り続けて欲しいと思う。
]]>あと30分ほどで、お孫の3歳の誕生日だ。
3年前の4/14
丁度この時間、娘の婿さんとふたりして、
初産の娘に付き添っていた。
自然分娩の予定だったけれど、
予想外の難産で、夜の明けるのを待って手術になった。
娘を手術室に送り病棟の談話室で待っている間、
前夜からの雨が上がって、みるみる青空が広がって行った。
ガラス張りの大きな窓の外を、
薄〜い雲がもくもくと湧き上がってきて、
まるで龍が空に昇って行く様だった。
本当に感動的な光景だったなぁ。
ドラマチックな天候もお孫の誕生を祝福している様で、
「きっとそろそろ産まれたかな」と思ったのが8時数分過ぎ。
実際の出産時間は8時4分だった。
先日、一足い早く3歳の誕生日をお祝いしに行って来た。
離れて住んでいる上、1年以上続くcovidのせいで、
9ヶ月振りに会うお孫。
ここ2ヶ月ほどですっかり話せる様になって、可愛い盛り。
いつも観ているらしい英語の映像のお蔭で、
日本語と英語の混ざったお話を一杯聞かせてもらった。
いつかあの日の湧き上がる雲の画像を本人に見せてあげたいな。
]]>自宅のエアコンが不調で修理に来てもらった。
中途半端な時間に修理が終わったので、
その後出勤しても数時間の滞在に(笑)
結局休みにしてもらった。
梅雨の中休み的な、風が爽やかな日。
せっかくだから有意義に過ごしたい。
こんな日は近くのアンティークビルにあるオープンカフェがいいな。
昔行った事は、確かこのブログにも書いた気がする。
調べたら、ちょうど2010年の6/10だった。
もう、10年経ったのか(驚)
今のご時世、営業しているかも不安で、
食べログで調べてから行ってきました。
結果雰囲気は殆ど変わらず、
パスタもデザートも美味しかった。
屋上を渡ってくる風も爽やかだった。
唯一違っていたのは、
COVIDに気を使って暮らしている事
これだけだった(苦笑)
最後に訪れてからでも8年程経つのに、
居心地のいい場所が変わらずに有るって事がうれしい。
]]>『愚かな人を長に持つ民は不幸せだな』的なニュアンスの台詞がある。
数年前から、常々この台詞をリアルに感じてはいたけれど、
devilが暴れまわっている現状で、
ダブルでトリプルで愚かな長をヘッドに持つこの不幸せ。
あ〜ぁ、最高だわ。
あのお方々、今後も方針を改める気なんて更々ないんだろうね。
もう笑ってしまうわ。
人間、期待されなくなったらおしまいだと思うけどね。
只でさえ家を一歩出た時から、終日ピリピリと過ごしているのに、
愚かな対応の所為でイラついて、更にストレスが増すわ。
僕僕先生は唐時代のツンデレ美少女仙人のお話。
先生は禍々しい災害が起こると、
五色の彩雲に乗って様子をみに飛んでいくんだよ。
先週は日本のどこかにきれいな彩雲が現れたらしいよ。
いよいよ僕僕先生が心配して来てくれたかな・・・
先生来てくれるのは嬉しいけど、
ほんとはそんな状況は要らない!!!!!
アフリカで大量発生したバッタの被害は東進して中国まで来たらしい。
僕僕先生の中でも虫の大量発生が描かれていて、
天変地異の代名詞の様に感じるけど。
21世紀は、
入ってすぐに「9.11」が有って、その後も人災・天災の波状攻撃で、
災厄はいつまで続くの??
もう20世紀後半のような暮らしやすかった日々は戻って来ないのか。
そりゃ、僕僕先生やアマビエ様に依存したくもなるわな・・・・
]]>今年は私の人生で一番エポックメイキングだった1969年から50年。
記念の年だったけど、本当に50年前を振り返る節目の年になりました。
春から週1回英会話に通っています。
独身時代はドップリ英語に浸かって、
英会話学校に多額の学費を投資していた。
結婚後も娘に手が掛らなくなった頃、
仏教美術と共にオープンカレッジの英会話クラスにも数年。
が、その後「英語を口にするのは数年に一度」な状態が続き、
でもやっぱり話したくて、
数年前からどこかいいスクールは無いかと思っていた。
最初は経費面から自宅でのネット英会話も検討したけれど、
やはりちゃんと通いたいなとなり・・・
この春は真剣に学校を探した。
どれもシックリ来なかった数校の体験レッスンの後、
最終的に選んだクラスが本当に良くて満足している。
やはり縁と言うのか、孟母三遷した甲斐が有ったという感じ(笑)
通っているクラスは毎水曜日の18:40から。
7時間以上仕事をした後の通学ははっきり言って楽じゃない。
独身時代は夜のクラスに週3で通っていたけれど、今思うと夢の様な話。
歳の経過にも気付かず、夜間クラスに通う事の大変さに気付かなかったアホです。
一応はレベルチェック後に紹介されたクラスなので適応出来る筈だけど、
最初の2週間はプレッシャーが有り過ぎて、自主休講してしまった(苦笑)
3回目の授業も数日前からの緊張感半端なく、開き直り全開で出席。
でも、その緊張は奇跡の出会いに依って、1時間後には消滅していました(苦笑)
担当講師はカナダの男性。年齢は40代半ばかな。
まぁ、新人には講師も気を使ってアレコレ話題を振ってくれるわね。
その中で趣味の話になり、
50年近くUS UKのロックを聴いているという件で講師の口から出たNeil Young
その一言で「もしかしてカナダ人??」となり、一気に世界が開けました(笑)
そこから、50年経ったWoodstockの話になり、C.S.N&Yの曲に話題が及び・・・
「最近音源はデータのダウンロードになっちゃったけど、
かつてのアルファベット順に並んだLPレコードを順番に探して行くのが楽しかったね」なんて。
そんな話いままで誰ともした事無かったよ。
私のマニアックな趣味にここまで話が合う人なんて、
おいそれと出会える事じゃないよね。
Woodstockも、アポロ11号の月着陸も、
今年亡くなったピーター・フォンダのEASY RIDERも。
みんな1969年の出来事で、それから50年経た今年、
これだけの話題を英語で語れる人に出会うなんて、こりゃミラクルですわ。
日本人でもお目にかかっていないけど(苦笑)
秋には1969年好きという事で映画「Once Upon a Time in Hollywood」をリコメンドされた。
それまでタランティーノの作品なんて一本も観ていなかったし、
2時間40分もある超マニアックな作品だったけど、
当時のカウンターカルチャーをリアルに知っていたお蔭で本当に面白かった。
ちなみに、彼は2回観に行ったそう(笑)
今年見た中で最高の映画だそうな。。。
マニアックなトピックだけじゃなくて、
なんか嘘でしょ?としか思えない共通点も。
カナダで求職活動中にやむなくテレオペの仕事をしてたんだって!!
これ彼の方から言い出した話題だし、
クラスメイトはみんなちゃんとした経歴の人たちなんでそんな経験は無いんだけど。
私ひとり「同じだ」って大盛り上がりしちゃった。
国の違いを問わず、コール先のご老人は電話した自分と長話をしたがる様子(笑)
人間ってみんな同じなんだね。
更に彼は芸術系の大学出身らしく、
なんと西洋美術の講座(上級レベル)まで担当していた!!!
うぅ〜ん、行きたい、けれど上級だ・・・・
仕方なく、普段の授業でそっち系の話題を振る事にしている(笑)
お蔭で、今年は20数年振りに奈良の「正倉院展」も観に行けたよ。
5月の緊張が嘘の様に10月からの秋季は皆勤でした。
楽しくて、いまはもう一回でも休んだら勿体ないという感じ。
勿論今だって四苦八苦して話している事に変わりはないんだけど、
英語だとか日本語だとか通り越して、
同じイメージを共有出来て、
同じ感覚や大袈裟に言えば同じ概念を分かり合える事が楽しくて。
こんな時間を持てたことが、今年一番の嬉しい変化でした。
独身時代最後に通っていたクラスが上級で、
ボキャブラリーや文法より以前に、
人生経験の無さも手伝って話題が無さ過ぎて、
敗北感を感じながら辞めた事をずっと引きずっていた。
だから、今年英語を再開する際、
「今度は逃げない」と、結構悲壮な覚悟が有ったんです(笑)
幸いな事に、言葉の違い以前に共通項を認識できる講師と出会って、
来年も相互理解の楽しさを味わって行けそうな感じです。
]]>遂に時代を跨いだ10連休が始まった。
(正確には10連休突入日の午前2時過ぎ、笑)
この10連休
時給換算の身には収入減だし、
後半は娘の所にお孫の初節句祝いに出掛けるし、
金銭的にはあまり嬉しくないけれど。
それでも、
普段なら「あしたも仕事だ・・」とか、
夜更かしに感じる後ろめたさも、
暫くは平気だ。
そんな事に気付く連休スタート(笑)
何とは無しの解放感でついていた深夜のNHKで、
イエモンの特集を観た。
3年前の再結成以来、出す曲みんな好きだったけど、
過去のピーク時に自分がリアルに聴いていなかっただけに、
レジェンド感が強すぎて今までちょっと距離があった。
LCの現役時代にはヒーセ氏やアニーも伝説的存在に感じたし。
でも、今夜の放送観てハマってみようかなと思う。
LCを無くして以来、
取って替われる存在をずっと探していたのかも知れないな。
知り合いのラクリーさんの中には、
新しい存在を結構早く見付けている(ように見える)人も多いのかな。
でも私はLCに匹敵するような熱量の存在にまだ出会っていないよ。
勿論一見新しい存在を見付けたように思える人たちも、
LCの時の様な情熱は注いでいないかもね・・・
平均年齢50歳をちょい過ぎた4人が、
全盛期から解散、再結成の年月を経て、
いま作り出される曲は本物だ。
(だれかさんの歌詞はほんとうに上っ面だったな)
もっともそのだれかさんをちらっと思い出させる吉井さんの衣装や、
立ち位置もSHUSEと同じヒーセ氏のカメラ越しの目線とか、
やっぱりイエモンにLCの面影を投影してる感は否めないけど(苦笑)
「Horizon」であのギターをエンディングに持ってくるのはカッコ良過ぎだ。
]]>「年越しライブ」の晩が蘇った。
ライティングされたウッドデッキや階段が、
14年前のあの晩に連れ戻してくれる。
整理番号1番のチケを持ってこの階段を登ったっけ。
人生初の”最前”でSHUSE観たから、
終演後外に出るのも遅くなり、
娘や知り合いの人たちを待たせてる申し訳なさと高揚感で、
足取り軽く階段を駆け下りたっけね(苦笑)
「整番1番だった事実」とかは頭の隅にしまってあるけど、
当時の気持ちがこんなに細かく思い出されるのは久し振りだ。
あの頃の様なキラキラした出来事からは遠ざかってしまったけれど、
La'cryma Christiを通じて、
10年以上に渡り宝物のような思い出が残っているのは、
本当に幸せな事だと改めて思う。
La'cryma Christiが遠ざかって12年?
再結成やSHUSEのその後の活動を含めても5.6年以上は
輝かしい思い出に会っていない。
1年のスケジュールがLC中心に回っていて、
いつもメリハリのある年月だったあの頃と比べ、
随分と平和な毎日になった。
そんな1年の流れに今年少しだけ変化が有った。
神奈川に住む娘に男の子が生まれ、
出産直後の1カ月半、私も手伝いに行っていた。
新生児期の面倒をみたお孫も生後8か月になり、
先日写真館で記念写真を撮る際、
聴かせていた曲の中で一番ご機嫌だったのが、
buck numberの「クリスマスソング」だそうで。
私もbuck number好きなんだ。
8か月児にして、いい趣味してるよキミ。
世代を超えて、同じ曲が好きってうれしいね。
X好きの父ちゃんとプラ好きの母ちゃんの影響で、
数年後何を聴きたがるのか楽しみだ。
自分自身の大切な思い出と、
可能性を一杯秘めたお孫の将来。
過去と未来に思いを馳せている年末です。
]]>1日目は来春に出産を控えた娘と会って、
出産予定の病院を見学し、今後の事も相談。
(娘は川崎で出産予定なのです)
15週目のやや膨らんできたお腹だけれど、
まだ触れば分かる程度(笑)
次回8カ月位に会ったらかなりな変化だろうなぁ・・・
先日無事につわりの時期も乗り切って、
10月から職場復帰してるので、
これからの7カ月余りもあっという間かも知れない。
32年前の娘を生んだ頃は私自身寿退社の後だったから、
在宅でゆっくり出来たけど、
今の人たちは出産間近まで出勤して大変だ。
初期のつわりや不安定な時期も毎日の出勤によるリスク増は大きいと思う。
それでも、1カ月半ほど仕事を休んでいた娘は、
体が楽になった頃から退屈で、外に出たくてウズウズと(苦笑)
復帰後の3連勤もいきなりの残業続きながら無事に乗り切った様で、ひとまず安心。
つくづくこの仕事が好きなんだと分かりました。
出産後もこの調子だと1歳頃から仕事に復帰する見通し。
早くも保活を考えるそうで・・・
私自身は娘の年長さんからパートに行き出したけれど、
小学校の夏休みでも結構仕事を休んで図書館や公園など連れて行った。
それが私自身の思い出にもなっているけどね。
これからの子は子供時代の思い出がちょっと少なくなるのも致し方ないのかな・・・
正直な所、自分自身の子育て時期と比べて複雑な気持ちではありますが。
30年も経てば家族の形が変わって行くのも当然だね。
ともかく、これから生まれて育って行く人の事を思うと、
地震や異常気象そして上空のミサイルと・・・
そんな不安要素が一つでも減る事を願うばかりです。
]]>あの人たちが
帰ってきました
めっきり更新が途絶えていたこのサイトも、
10年間閉鎖せずに、
いわば留守を守ってきて、
再びこんなにうれしい投稿が出来るなんて、
生きててよかったな・・・
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